大友良英NEW JAZZ FESTIVAL(2日目)@新宿ピットイン

  19日から始まったこのフェス。昨日は仕事で断念したため、今日はかなり期待して乗り込んだのだが、周囲に居たのは運悪く演奏中にぺちゃくちゃ喋る粗忽者で、序盤はまったく集中できず。隣にいたのは年配リーマン。お互いに役職で呼び合う気持ち悪いそいつら、若かりし日に得たジャズ(ズージャ?)の知識をひけらかすように知ったかぶりしていたが、演奏が始まるとあまりのギャップにすっかり打ちのめされたようで。。大友さんが言っていた「こんなの音楽じゃない」と悪態ついて出てったのは、その2人です。まったくもって迷惑千万な人たちでした。

■コル・フラー(ピアノ)×大友良英ターンテーブル
 ……というわけで、あまりよく聴き取れなかったし、逆上していたので覚えてません。スミマセン。。


アクセル・ドゥナー(トランペット)×井野信義(ベース)
 どこからどう音を出しているのか見当もつかないアクセルに、井野があちこちから食い下がっていくという展開。井野の引き出しの多さとかアイデアの豊富さは、さすがとしか言いようがない。しかしそこにまんまと乗っかったりはしないのは、若さなのか?アクセルさん! 追いかけっこをしているような、掛け合っているんだかいないんだか分からない応酬が続いて、でもそれが不思議とシンクロしていたりして…。そんな一瞬の偶然が、また面白い。

 アクセル・ドゥナーのトランペットは、時々とても無機的。人間が生きる上での最も原初的な行為である呼吸を用いて出す音は、その内容如何に関係なく、体温とかふくよかさといったものが滲み出るものだが、この人は何だか違う。抑制が効いているというか…。だからこそ、肉体的・感覚的に慣れきった音楽のフォーマットに縛られずに済んでいるというか。体感的なビートを感じさせる井野さんとは対照的。音はむしろ地味だったが、やけにスリリングなデュオだった。


アクセル・ドゥナー(トランペット)×大友良英ターンテーブル)×Sachiko M(サインウェイヴ)×大蔵雅彦(リード)
 この日、席が後ろの方だったため、演奏者の手元を確認するには至らなかったわけだけど、そのことが大きく影響したのが、この誰一人として普通の楽器の普通の音を鳴らさない不思議なカルテット。ブォーーーとかキィーーとかプチプチといった抽象的な音が飛び交い、その合間を縫ってサイン波が脳髄を直接揺さぶりにくる。たまに「あ、何だか分かりやすい音が!」と思ったら、空調の音だったり水回りの音だったり隣の人の衣擦れの音だったり。。つまり、この4人が発する煙のように漂う音たちは、どこにでもありそうで実はどこにもない音だったのだということに、日常的な物音の出現によって不意に気づかされるという次第。コレ、もしステージがハッキリ見えて、手元や動作から次に何をするかが分かれば、たぶん味わえなかった感覚だろうな、と思う。最初はよく分からなくて、もっと前の席に行けばよかったと後悔したが、結果的に訳分かんないまま聴いていた方が楽しめたような気がする。


■コル・フラー(ピアノ)×秋山徹次(ギター)×マッツ・グスタフソン(バリトン・サックス)
 あらためてコル・フラー。ピアノ弦を叩いたりする奏法は、たぶんさほど珍しいものではないんだろうけど、この人がやるとピアノがピアノでなくなるような妙な感覚に陥る。そもそもピアノってのはピアノ弦を叩く打楽器であって、たまたま簡単に音階を表現できるシステムが付与されたから、現在自分たちが慣れ親しんだようなメロディーとコードを奏でる楽器になったにすぎない…のかも? あるいは、今でこそピアノを弾く(ひく)と言うけれど、ホントは弾く(はじく)、なんじゃないか? なんてことを思ってみたり。決して奇を衒った音を出したり、びっくりするような何かをするわけじゃないんだけど、日常的な感覚からどんどん引き剥がされていくような印象。で、マッツ・グスタフソンは、一言で面白い。バリトン・サックスであんなに細切れに、しかもささやかに音を出すって、どんだけ肺活量あるんだろう? 瞬時にスパークしたり、顔中をくしゃくしゃにしてマウスピースをくわえたり外したり…、やることなすことに華がある。で、バリトンだけに音が深い。この人、誰と組んでも面白いんだろうな。

 そんな2人がジグザグにテンションを上げ下げしているのに対し、一人時間軸がズレていた(というか、そもそも時間感覚なんてあったのか?)のが、秋山徹次。コル・フラーのピアノ弦の音とかぶったり、会場の空調が相変わらず元気に働いていたりして、なかなか音が聴き取れなかったのだが、彼の異次元な音があの2人の応酬を立体的に響かせていたと思う。にしても、あのキャップとマスク、コスプレだったとはね。てっきり風邪ひきさんかと……