沖至+大友良英+外山明+半野田拓@新宿ピットイン

いやあ、凄いメンツだ!
フランスから一時帰国の沖至(Tr他)2daysのために大友良英がプロデュースしたらしいのだが、まさに納得の組み合わせ。

第一部は、沖と各メンバーとのデュオ。

半野田拓とのコンビでは、終始静かな展開。微妙に震える半野田の音が、沖の柔らかなトランペットを確実に捉えていて、半野田の音の波に漂う沖の音が深く澄み切っていて……。半野田の ギターが奏でるトレモロは、特別なテクニックなどは何もないのだが、不思議と沖の音空間を拡げていく。目新しい展開などなくとも、我知らず引き込まれる演奏だった。

続く、外山明とのコンビは、お互いの幸せそうな笑顔がすべてを象徴していた。沖の音は、彼自身の奥底から響いている。それに応える外山のドラムは、一般的に期待されるいわゆる変拍子のような摩訶不思議なリズムではなく、「歌」。外山が、ドラマーとしてではなく、音楽家として演りたいことがはっきり見えた気がした。そして、おそらくはそれを感じ取ったであろう沖も、「歌」で返す。こちらまで幸せになれる交感がここにはあった。

最後が、大友とのコンビ。前二人に比べ、攻めに転じる趣きのある大友の鋭いギターにも、沖は泰然と応じる。起伏のある展開でありながら、お互いの音を繊細に捉えている様子がよくわかる。演奏それ自体にのみならず、その結果放たれる音の行く末にまで神経を研ぎすませる二人。勢い自分の音に没入しがちな大友に対し、沖は一段うわ手な貫禄を見せてはいたが、それもこの二人だからこその真剣勝負であるといえよう。


第二部は、4人全員のセッション。
沖のトランペットはいつも寛容で柔らかく、でも妥協を許さない澄んだ音。それは、ギター2台にもかき消されることなく、悠然たる響きを放つ。その「歌」に自分の「歌」で応えようとしたのが、外山。これまで彼のドラムは幾度となく聴いてきたつもりだが、こんなに澄んだ音を聴いたのは久しぶりかもしれない。何より、彼のドラムがリズムとしてではなく、歌として聴こえてきたことに、驚きつつも心を揺さぶられた。ここのところ、いわゆる職業ドラマーとしての顔が立っていたことに内心不安を感じていたのだが(いや、それも確かに外山の魅力ではあるのだが)、この日の演奏で彼の素顔が見えた気がした。相変わらずトレモロ奏法を続ける半野田は、特に後半、どこにもカテゴライズされない「半野田語」とも言うべきボキャブラリーで反応していたのが印象的だった。彼の素晴らしさは、まさにコレ! 楽器からも、リズムからも、メロディーからも切り離された純然たる音、それでいてその空間を決して邪魔しない音……。彼の耳の良さ故であろうその音こそ、半野田拓の真骨頂である。それに対し、あくまで自分の演奏に徹したのが、大友。後半、少々ヒートアップする場面が見られ、そのスパークぶりに沖がいったん音を控えるなどという場面もあったが、今となってはそれも大友らしさが120%発揮された結果であろうと思う。ちょっと冗長な気もしたけどね……。

で、そんな各人の個性をおおらかに受け止め、さりげなく、でも確かに、真ん中に居たのが、沖。ブレがなく、でも包容力のあるその音は、彼自身が到達した境地を如実に表しているよう。ライブを観たのは2度目、それ以外にはまったく会ったこともない人だけれど、この一夜の演奏で、もう何十年も彼と親交を深めてきているような気がした。

たかが音楽、されど音楽。ここまで人間が表れてしまうものなのだなあと、あらためて感じさせられた……そんな演奏だった。