大友良英NEW JAZZ FESTIVAL(3日目)@新宿ピットイン

 昨日の粗忽者のことをネタに、「“こんなの音楽じゃない!”と言って途中で出ていく人は、まず僕を倒してからにしてください」と、大友さん。今日はコンディションもバッチリで、気持ち良く観られました。


■マッツ・グスタフソン(バリトン・サックス)、大友良英ターンテーブル、ギター)ソロ & デュオ
 大友良英のギターソロ、マッツ・グスタフソンのソロ、2人のデュオの順で第1部が進む。こう言っちゃ何だが、ほぼ予想通りの音。マッツがここぞとばかりに気を吐いていて、そういや今回のフェスってかなり文化系的だなあとあらためて思う。汗が滴ったり、飛沫が飛び散ったりといった場面はなく、ともすれば肉体的な感覚さえ失ってしまうような磁場が働いている。それだけに、マッツの身体張ってます!な感じが、懐かしいような新鮮なような。。


アルフレート・ハルト(リード、エレクトロニクス)×杉本拓(ギター)×吉田アミ(ヴォイス)
 さて、第2部。何をしでかすか分からないアルフレート・ハルトの登場! 彼の要望により客電が灯されたまま演奏が始まる。しばらく何も起こらない時間が続いたかと思うと、おもむろに楽屋から超スローモーションで出てくるアルフレート(実は、パフォーマンスは楽屋の中で既に始まっていて、中でスタンバイしていたミュージシャンたちは腹抱えて爆笑していたらしい。って、そんなの見えないし…)。まるで無重力空間にいるような動作で、紙袋から何やら取り出したり、またしまったりしていて、かなり可笑しい。ジャズがブッ壊れた瞬間って、こういう感じだったんだろうな。何でもアリ。時々サックスを吹くんだけど、またそれが妙に鮮明で美しい音だったりするんだけど、ものの10秒ほどでやめてしまうし。杉本拓と吉田アミは、ほとんど出番ナシ(笑)。お笑いじゃないんだし、変わったことすりゃ勝ち!とはまったく思わないが、彼のパフォーマンスを観ているうちに時間がグニャっと引き延ばされる感覚を覚えたのは確か。10秒足らずの短い間に聴いた音が、その後もしばらく頭の中で反響して、むくむくと妄想を掻き立てられていったのも確か。計算ずくではなかろうが、もたらされたものは意外に興味深いものだった。ただ、客のリアクションがもっとあってもよかったのかなあ?とも。客電落とさなかったのって、パフォーマンスを双方向なものにするためだったんじゃないの?と、若干の反省を込めて。。


大友良英作曲作品:芳垣安洋(パーカッション)、Sachiko M(サインウェイヴ)、伊東篤宏(オプトロン)、宇波拓(コンピュータ)、大友良英ターンテーブル
 後で教えてもらったことだが、これは最初に大友良英から格子状に図示されたリズムパターンが渡され、4種類あるうちのどれか一つを選んでその通りに演奏する、というものだったらしい。速さは一定。ただし、それをどう解釈し、何拍子と見なしても良い。図には、音のオンとオフのタイミングが示されているのだが、オンの間は一切音程その他を変えず、オフは必ず無音(って、当たり前か…)。結果、ランダムに見えて規則的な、しかし規則を律する明確な規則のない単音の集合体が誕生する。各人はひたすら自身の音を向き合い、縛りの中で音像を描いていく。それってたぶん、完全に自由気ままなインプロに慣れた名うてのミュージシャンにとっては、新鮮だったことだろう。

 一方、そうとは知らず、ただ好き勝手に音をオンオフしているのだと思い込んで聴いていたこちらは、音と音とが絶対に交じり合ったり迎合したりしない様子が面白かった。音が偶然に重なり合う瞬間のカタルシスとか、まとまりなく音がほどける時のもどかしいけど妙にこそばゆい快感とか、一瞬一瞬にいちいち反応する自分の身体感覚を楽しんでいたりした。こういう類いの音楽って、もちろんコンセプトとか仕掛けの斬新さ、奥深さにも意義はあるのだろうけど、フォーマットがちと変わっているだけで結局は音楽なんだから、音を楽しめてなんぼ。無機的な音の寄せ集めが見せる万華鏡の世界は、意味も意図も抜きで楽しかった。いや、こんな聴き方が正しいのかどうか分からないけど(でも、こういうふうにしか聴けないから仕方ないけど……)。

 冒頭、テンポを決める芳垣さんのカウントで始まったのだけど、いかにもビートの効いていそうなノリで、おもむろにピーとかブーとか鳴り始めたもんだから、ちょっと笑った。で、その芳垣さんは、一定のテンポを自在に切り貼りして、えげつなく複雑なリズムを叩きだしていたのだけど、今にして思えば、よくぞあの制約の中で……。凄い! あのプレイが仕掛けを見えにくくしていたというところもあるな。