よしもとばななのHP日記に、「トマトが異常に好きという状態は、別れのつらさを感じている人に多い」というフレーズが出てきて、ふと目に留まった。実は私はかつて、異常にトマトが好きだった。1日に2食以上は食べていたかな。それもちょっと変わった食べ方。朝は半分凍らせて、昼はまあ普通に、夜は普通に食べるか、スープに入れるか、砂糖かけてデザートにするか…。トマト選びには命をかけていた(いや、大袈裟じゃなく…)。お気に入りは、西友の「桃太郎」。大振りで、皮がピンと張って、綺麗な赤色で、ヘタがとがっていて、持つとずっしりと重みを感じるもの。ちょうど今くらいの季節から、トマトの入荷数は減るし質も落ちるので、見つけたら大量に買いたくなるのだが、買い置きは厳禁なので、毎日ドキドキしながら買い物をしたものだった。思うようなものが手に入らないと、混乱して、動悸が激しくなって、叫びだしたくなるのを必死でこらえたりした(←アヤシイ人?)。

 というくらいの異常な執着を見せていたのだが、別れのつらさを感じるどころか、別れて困るような人もいなかった。いや、1人いたっけ。でも、その人に対しては、別れられても仕方ないな…ぐらいなヒドイことをしていたので、たぶんあてはまらない。別れるとか別れないとか、それ以前の問題だった気がするな。あの頃。いや、まあ深読みすれば、別れを恐れるあまり人に会わなかったとかいう解釈もできるのかもしれないけれど。

 …などという変なことを思い出す。だいたい私には、今にして思えば何だったんだろう?という過去が多すぎるのだ。あまりにも物忘れが激しいおかげで平然としていられるのだろうけれど、自分が人並みの記憶力の持ち主だったら…、と思うとゾっとしなくもない。

 ちなみに今は、幸いなことに、別れるなんてツラすぎると思える人たちに囲まれている。そしてトマトは…、何故かほとんど口にしない。ごくたまには買うけれど、選ぶのに1分とかからない。赤けりゃ何でもいいし、銘柄とかもよく分かんないし。ってこんなことすっかり気にも留めてなかったけど、ここにも捨て去った過去があったみたいだ。まあ掘り起こしてどうなるものでもないんだけどね。むしろ何がきっかけで吹っ切れたのか、そっちの方が問題かも。

 まあ時間かけて洗い出していこうか。