文学フリマ3

 引き続き、「モスコミューン出版部」さんの『KLUSTER』。「心が風邪をひいた日〜佐藤友哉のために〜」。いや正直、私は彼の小説もそれにまつわるいろんな文章も読み込めていないので、あまり積極的に発言するのは気が引けるのだけど、ここに書かれていることはとても良い導入になった、と思う。そして、このエッセイを読んだ後で、『マイティ・ボム・ジャック』を読み返すと、前者は佐藤のパフォーマティブな部分に焦点を当て、後者はそこに90年代とか世界といった大きな視野を導入していることがよく分かる。あるいは、前者が佐藤自身の自意識の在り処を探っているのに対して、後者はその自意識が少なからず時代とか世代とか世界といったものを映し出すものとしてあると捉えている。

 「心が〜」では、佐藤の発言や文章に表れる彼自身が、ベタにキャラ萌えを誘発することを意図して創られたものであることを強調しているのだけど、ただしそれ自体は、さほど特異なものとは思えない。そのあたり、もう少し他の作家との比較等があればよかった。いや、このエッセイはそもそもそういう分析を目的としているわけではないから、望むのは筋違いなんだけど。
 例えば、もっとあざとく、もっと屈託なく自分を模造し過去をパロった島田雅彦なんかは、きっと今の佐藤ら若手の作家のやろうとすることを目を細めて見ているだろうし、世代論に還元しない形での個別世代対比論、みたいな語り口は、読んでみたいな。あくまでも個と個を対置した形で、世代感覚がどう受容されていたか(あるいはされなかったか)を読み取っていく、みたいな。